「西宮北口駅:交通の要所と歴史を詳しく解説」
西宮北口駅は西宮市の中心駅の一つで、市内では最大の乗降客数を誇ります。この駅は神戸本線と今津線が接続する乗換駅でもあり、今津線は西宮北口駅を境に宝塚駅方面を「今津北線」、今津駅方面を「今津南線」と呼ばれることがあります。また、神戸本線の列車は今津線と直通する列車を除いて、当駅で車掌および運転士が交代します。
駅の重要性と役割
西宮北口駅は神戸本線と今津北線の間を直通運転する準急・直通特急・臨時急行を除く全営業列車が停車する重要な駅です。神戸本線の急行は当駅以西(通勤急行は塚口駅以西)で各駅に停車します。かつては国鉄東海道本線西ノ宮駅(現在のJR西日本西宮駅)や阪神本線西宮駅と区別するため、「キタグチ(北口)」と称されていましたが、現在は「ニシキタ(西北)」と呼ばれることが一般的です。西宮北口界隈を紹介するメディアや周辺の分譲マンション広告でも「ニシキタ」という呼称が広く使われています。
歴史
西宮北口駅は1920年(大正9年)7月16日に阪神急行電鉄神戸線(現在の阪急電鉄神戸本線)開通と同時に開業しました。当初、駅は西宮市の市街地から大きく離れた農村地帯に位置していましたが、「瓦木」ではなく「西宮北口」と命名されました。これは、宝塚からの支線を西宮の市街地まで延伸させる計画があったためです。この延伸計画は実現せず、代わりに阪神本線への接続が図られました。
主要な出来事
- 1921年(大正10年)9月2日:西宝線として宝塚駅 - 当駅間が開業。
- 1926年(大正15年)12月18日:当駅 - 今津駅間が開業し、宝塚駅 - 今津駅間が今津線となる。
- 1946年(昭和21年)10月14日:漫才師・ミスワカナ(初代)が駅ホームで心臓発作のため急逝。
- 1987年(昭和62年)4月6日:橋上駅舎が完成。
阪神・淡路大震災では、当駅は甚大な被害を受けましたが、梅田駅(現・大阪梅田駅)から当駅間は震災翌日に復旧し、同年6月には全区間が復旧しました。
駅構造
神戸線ホームと今津(北)線ホームは橋上駅ですが、今津(南)線ホームにあたる5号線のみ高架駅となっています。改札口は4ヶ所あり、ペデストリアンデッキによって駅周辺地域を自由に行き来できるようになっています。特に2010年12月に5号線が高架化されてからは、5号線ホームがペデストリアンデッキと同一階となり、スムーズな乗り換えが可能です。
主要なホーム構造
- 神戸本線:4面4線(うち島式ホーム2面)、ホーム有効長は10両編成に対応。
- 今津南線:単式ホーム1面1線、有効長は3両編成に対応。
- 今津北線:頭端式ホーム3面2線、有効長は6両編成に対応。
西宮北口駅は、長い歴史とともに発展し続け、現在も地域の交通の要所として重要な役割を果たしています。